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      <title>豪商からの伝言</title>
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      <description>江戸時代の近江商人に学ぶ-永続する豪商は陰徳を積んでいた</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2011</copyright>
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         <title>商売にとって最も大切なのは、決断だ。</title>
         <description>「商売にとって最も大切なのは、決断だ。たとえ一時は損失を受けると分かっていても、見切りをつけることが、後になって大きな損失を受けるよりもましだ」
　　　　　　　　　宗竺居士（高利）家訓
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         <pubDate>Tue, 24 May 2011 09:21:57 +0900</pubDate>
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         <title>商売を怠らずひたすら稼ぐことが、この世の勤めである。</title>
         <description>　「人は少しでも金のある時に、財産を増やすことを心掛け、商売を怠らずひたすら稼ぐことが、この世の勤めである。
　金のある時は油断して、欲しいものを買い、派手にしたい放題のことをして、たちまち財産を遣い果たし、その時になって慌てふためき、嘆いてももはや商売の手立てもなく、倹約すへき財産もなくなっている。　こうなってしまっては、乞食にでもなるほかない。このような愚か者に、人を使うことなどできない。金のある時にも稼ぎ、財産を増やすことを、車の両輪のように心掛けることが大切である。
　いかに倹約して、せっせと袋に物を詰めようとも、人間は衣食を整えなければならず、その時には取り出して使わない訳にはいかない。武士には領地があるが、商人は商いで儲けるしかないのだ。
　しかし、いかに稼いで袋に詰めても、無駄遣いをしては、たちまち空になってしまう。それでは底の抜けた袋に物を入れたのと同じことだ。
　このことを理解することが、肝心である」　　　　　　　　　　　　　島井宗室遺書
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         <pubDate>Mon, 23 May 2011 12:53:46 +0900</pubDate>
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         <title>お客様、お得意様は商人にとっては、生きた福の神</title>
         <description>「お客様、お得意様は商人にとっては、生きた福の神なのだ。だから、お客様やお得意様がいらした時には、ありがたく大切にするのはもちろん、そのお陰を忘れないために、掛地にお名前を書いて、毎日拝むことによって神様のお加護もあるものだ」　　　　　　　　　　　　　「富貴の地基」</description>
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         <pubDate>Sun, 22 May 2011 18:28:31 +0900</pubDate>
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         <title>商売は的のようなものだ。ちゃんと準備し、体制を整えれば当たらないということはない。</title>
         <description>「商売は的のようなものだ。ちゃんと準備し、体制を整えれば当たらないということはない。商売には、これが限界だということはない。よく働けば繁盛し、やり方が悪ければ商売は駄目になる」
　　　　　　　　三井高平「宗竺居士家訓」　
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         <pubDate>Tue, 17 May 2011 22:22:01 +0900</pubDate>
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         <title>山本山　家訓</title>
         <description>「昔から、お茶、お茶道具の商いをしてきたが、日増しに繁盛してきた。これはみなお客様のお陰であり、ありがたいことだ。　品物をよく吟味し、値段なども間違いのないよう差し上げ、お客様が来店されたら、たとえどなた様の用事をしていても、すぐにご挨拶するように。
　もし、どうしても手が離せない時には、他の人に伝えて、間違ってもお客様に失礼のないように」
　　　　　　　　　　　　　山本山　家訓
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">豪商の商い哲学</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 16 May 2011 21:15:46 +0900</pubDate>
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         <title>囲碁、将棋または博打など、商売以外のことに楽しみを求めるのは分別のないことだ</title>
         <description>「宗寿（高利）が言われるには、囲碁、将棋または博打など、商売以外のことに楽しみを求めるのは分別のないことだ。」
　　　　　　　　　　　                    　三井高治「商売記」

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         <pubDate>Sun, 15 May 2011 09:15:43 +0900</pubDate>
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         <title>商人の心得としては、まず小口のお客様をこそ大切にすることが肝心だ。</title>
         <description>「商人の心得としては、まず小口のお客様をこそ大切にすることが肝心だ。それと言うのも、商家はどこからも年貢は上がってこないのだから、たとえ僅かな売り上げでも、それが一家を支えとなっているからだ」
白木屋番頭・独慎俗語
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         <pubDate>Sat, 14 May 2011 15:47:06 +0900</pubDate>
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         <title>「天は偽りを許さない」</title>
         <description>「天は偽りを許さない」

角倉素庵「舟中規約」</description>
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         <pubDate>Sat, 14 May 2011 15:40:26 +0900</pubDate>
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         <title>家が栄えるのは三代目まで</title>
         <description>家が栄えるのは三代目まで

「家が栄えるのは三代目までというように、家訓を一緒懸命に、誠実に善行を尽くしていかなければ、不滅の繁栄を続けることは難しい」

中井家家法・和合寿福講</description>
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         <pubDate>Sun, 08 May 2011 17:30:17 +0900</pubDate>
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         <title>慎み深い態度をとり、驕らなければ、自然に天の助けを得るものである</title>
         <description>　慎み深い態度をとり、驕らなければ、自然に天の助けを得るものである

「裕福になっても、ますます謙虚な気持を持ち、他人は自分より賢いと思わなければいけない。人には恭しく、自分の行いは慎み深い態度をとり、驕らなければ、自然に天の助けを得るものである」

中村家二代目・中村治兵衛宗岸家訓</description>
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         <pubDate>Wed, 04 May 2011 10:31:17 +0900</pubDate>
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         <title>時間を無駄にしないことが神仏のご加護を受ける道である</title>
         <description>時間を無駄にしないことが神仏のご加護を受ける道である

「店の仕事が手すきの時は、それぞれに手仕事をして、何もしないでいることのないようにすること。時間を無駄にしないことが神仏のご加護を受ける道である」

中井家家法・掟目</description>
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         <pubDate>Sun, 01 May 2011 09:20:47 +0900</pubDate>
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         <title>商売には、少しの油断もなく精を出して励むこと</title>
         <description>商売には、少しの油断もなく精を出して励むこと

「不景気だから赤字になったなどというが、怠けた結果なのだ。
どんな時にも油断せずに仕事に精を出すことが肝心だ」

中井家家法・掟目
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         <pubDate>Sat, 30 Apr 2011 13:56:55 +0900</pubDate>
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         <title>銭屋五兵衛　４　世人の信を受くべし</title>
         <description> 江戸時代は、「士農工商」の身分制度が確立していた時代である。また、商人が力をつけ、武士や農民が衰えていく歴史でもある。だが、世の中を支配していたのは武士階級である。
 
 そのような背景の中で、武士により「食い物」にされた豪商は枚挙に暇がない。
 武士と商人の関係を赤裸々に綴ったのが三井の三代目・高房が見聞きしたことをまとめた「町人考見録」である。
 
 「すべて大名方に出入りする町人には、富裕な時には大名はたくさんの扶持を与え、それで屋敷にしばりつけるが、その町人の身代が傾きはじめると、扶持や援助米も少なくなって、それもいつときなく取りやめになる。

 つまり餌を与えて身代を釣るというやり方であるから、くれぐれも大名家からは扶持や援助米は受けないようにすべきである。

　この両替屋・善六も森家から扶持を得ていたため、家来の名目が立ったので、家来が主君を訴える法はなく、多額の貸決金はそのままにてなり、自身もそれを苦にして死んでしまった。

　なんと愚かなことではないか。武士は、計略を巡らして勝つことを第一としている。それが武士の勤めである。町人が適当なところを見計らって金を儲け、利益を得ようと思っても、武士は四民の頭で知謀兼備の役人であるから、町人の手の内はお見通しで、かえって裏をかき先手を取り、町人から適当に借金しておいて返済ことわりを申し出る。町人が竹槍で武士の真剣に対抗するようなもので相手にはならない」

　といったようなことが書かれている。
　
　加賀藩に、１兆円を超える御用金を納めた銭五が全財産を没収され、一族が処刑されたのは、

①河北潟干拓工事での投毒の嫌疑
②会津藩の山林買い占め事件
③密貿易に対する幕府追及の未然防止　　
　
　が、理由ではなかったかと推測される。

　密貿易についても諸説あるが、勝海舟は「銭五が密貿易をやっていたのは、幕府も知っていた。だが、大目に見ていたのだ。それを加賀藩が処刑したのは、早計だった」と述懐している。
　
　銭五が無念の死を遂げたのは開国の７年前である。銭屋五兵衛は、武士の知謀に敗れた御用商人の典型的な人物であり、時代の犠牲者でもあった。
　
　銭屋五兵衛は、

　一、世人の信を受くべし

　一、機を見るに敏なるべし

　一、果敢勇断なるべし

を「商訓三カ条」として残している。

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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">江戸時代をふり返れば、２１世紀が見える</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 Apr 2011 09:47:57 +0900</pubDate>
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         <title>銭屋五兵衛　３　北前船（きたまえぶね）</title>
         <description> 江戸時代中期から、日本海を往来した廻船を北陸では、バイセンと言っていた。文書には、外海船・弁才船と書かれているが、瀬戸内ではこの船を北前船と呼んでいた。北海道や日本海沿岸の国々へ商品や塩・砂糖などを積み降ろし、それらの国から水産物・米・木材などを積み上げていたからである。
 
　北前船は、太平洋方面の菱垣廻船や樽廻船と並び、物資の輸送手段の大動脈であった。寛文頃（１７世紀後半）まで、北国の貨物の輸送は、越前の敦賀、若狭の小浜を経由し、ここでいったん荷物を陸揚げあげし、馬に積み替え、琵琶湖西北　岸の海津や今津に運び、湖上または陸路を大津まで、さらに山を越え、上方へというのが、一般的であった。
　
　このルートでは商品の痛みがひどく、運賃も高くついた。そのようなことから、上方へ直接輸送する航路が待望さ　れていた。そのような背景を受け、寛文１２年（１６７２年）頃、河村瑞賢が幕府の命を受け、東廻り航路とともに西廻り航路（日本海から下関を廻り、瀬戸内へ入る航路）を改修。これが輸送革命を起こすことになる。
　
　この北前船は、江戸・大坂という大消費地と大集散地を結ぶ菱垣廻船や樽廻船が、スピードで勝負する「運賃積み」であったのとは対照的に、港々を立ち寄りながら、船頭が自分の商売もする「買積み」を主にしていたために「ドングリ船」ともいわれたようにズングリした船型が特徴であった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　・
　加賀藩は、４０００両近い御用金（約４億円）の調達を一人で引き受けた銭屋五兵衛を「御手船裁許」に任命した。そして、新たに常豊丸（１５３９石積み）と常安丸（９６０石積み）の２隻を建造させ、その裁許（主宰）に任じ、かつ十村格に列して、名字帯刀を許した。十村とは、十カ村の村長を支配する役である。「御手船」とは加賀藩の官船であり、船印・幔幕・提灯などにはすべて前田家の定紋である梅鉢の印が用いられた。

　加賀藩は他藩から一目置かれた存在であり、その「御手船」ともなれば、信用も絶大であり、商取引には　これ以上ない力となった。

　「御手船」常豊丸の建造には、加賀藩は取りわけ力を入れ、ほぼ完成に近づいたころ、藩主・斉泰が二人の子供（後に藩主）と母親を連れ、宮腰の浜まで検分に訪れ、五兵衛に小判一両を下賜した程である。

　天保１５年（１８４４年）４月１８日の進水式には、金沢城下ならびに近郷から数万人の見物人が押し寄せ、浜には５４軒の茶屋が立ち並び、大繁盛したという。
　
　五兵衛も、この船には自信を持っていたようで、「日本一の出来栄えである」と「年々留」に書いている。加賀藩も、五兵衛や一族に功労金を与え、労った。銭屋五兵衛の豪商への道は約束されたも同然であった。

　しかし、振り返れば、このころが銭屋五兵衛にとって一番いい時代であった。


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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">江戸時代をふり返れば、２１世紀が見える</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 26 Apr 2011 10:03:01 +0900</pubDate>
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         <title>銭屋五兵衛　２　御手船裁許（おてふねさいきょ）</title>
         <description> 加賀前田家の始祖は、前田利家である。前田藩は、加賀・越中・能登の三州を領有。その禄高１０２万５０００石は、普代・外様を通じて最大であり、廃藩までその地位を保ち続けた「名門」である。
 
 しかし、その台所事情は、常に逼迫していた。なぜなら、徳川幕府は加賀藩に対して、どこよりも高い御用金を申し付けた。加賀藩も、外様大名であり、また大藩の面子を維持するために、それに応じなければなかったからである。
 
 それに、幕府からの減封やお家断絶を避けるために、細かいところまで気を配らなければいけない立場にあった。たとえば、参勤交代や普請助役のほか、将軍の藩邸訪問があった。これは大名にとっては名誉なことなのだが、その費用は莫大なものであった。

 五代将軍・綱吉が前田家本郷邸を訪問に際しては、新築と接待・贈答などで一年間の支出総額の二倍もの借金（２２０００貫目）をしなければならなかった。
 そのようなことから、藩の財政はいつも苦しい状態にあり、年貢米の収奪は過酷で、逐電する農民も少なくなかった。
 
 天保９年（１８３８年）の春、江戸の大火で江戸城西の丸が焼け落ちた。幕府は、建て直しに６０万両かかると算定。その費用を１２の有力な藩に割り当てた。加賀藩は、総額の４分の１を超える約１６万両を負担することになった。

 ちなみに、肥後の細川家は８５０００石、土佐の山内家は３５０００石である。これを見ても加賀藩の負担が、いかに大きかったかが分かる。
 
 この前年の天保８年（１８３７年）には、大坂で「大塩平八郎の乱」が起きているが、「天保の大飢饉」で各藩とも財政事情は、どん底であった。そこへ、江戸城再建の負担である。加賀藩の財政は窮迫していた。
 
 金策に頭を痛めていた藩の執政（家老）奥村栄実が、目をつけたのが銭屋五兵衛である。その時すでに豪商の仲間入りをしており、奥村は「銭五」を最も勢いがあり、才覚もあると判断したからである。
 
 奥村は加賀の豪商たちを集め、金策を持ち掛けるが、だれも黙っている。発言すれば、負担することが分かっていたからである。その時、銭屋五兵衛が４０００両近い御用金を一人で調達すると申し入れた。今の金にして約４億円である。
 
 「銭五」はこの御用金調達と引き換えに、藩の御手船裁許に任ぜられた。御手船裁許とは、藩の公認を得ての海運である。さまざまな恩典が与えられ、また加賀藩お抱えの信用にものを言わせ、銭屋五兵衛は各地の豪商と手を結び、北海道から九州に至るまで全国に３４か所の支店を持った。
 
 持ち船は２００艘を超え、そのうち千石以上の船は２０艘に及び、「海の豪商」として全国にその名を知られるようになっていた。

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         <pubDate>Mon, 25 Apr 2011 10:21:08 +0900</pubDate>
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